はじめに

このページは、William Holtz氏によるローズの伝記「THE GHOST IN THE LITTLE HOUSE: A Life of Rose Wilder Lane」
(1993 University of Missouri Press)を通読した私アスティが、個人的に感じた事を皆様に広く知ってもらうことを目的としたもので、
この本の翻訳を載せていくものではありません。
文中で引用する文章は、Holtz氏がローズ自著の著作物から引用したものであり、
1970年以前の出版物に関する「ベルヌ条約」の「10年留保」から
出版を目的としない私個人の訳をあてました。

その他の文章に関しては、著作の権利はすべてasti-homeに帰属するものとし、
無断の転写・転載を禁止します。






「ローズの結婚」


人生にはいくつかの分岐点があります。
ローズの人生においても、いくつかの分岐点が存在しましたが、その中でも「結婚」は、その後の彼女の運命を大きく左右した重要な分岐点といえるでしょう。

1909年、3月24日、23才のローズは、同い年のClaire Gillette Laneという男性と結婚します。
彼との出会いは不明ですが、おそらくは、ローズがカンザスシティーのミッドランドホテル内で、ウエスタンユニオン支局の電信者として働いていたとき、旅行客としてそのホテルに宿泊した彼と出会ったのが、最初ではないかと言われています。
1908年の春には、彼女は彼を追って、汽車で大陸を横断しサンフランシスコに着いたのでした。
サンフランシスコ Leavenworth 1418番地のアパートに、彼女は、Bessie Beattyという若い女性と共同で暮らし始めます。
そして、同じアパートに、このGilletteという男性も住んでいたのでした。
Beattyは、サンフランシスコBulletin紙の記者をしていて、Gilletteは、そのライバル会社であるサンフランシスコCall紙のリポーターをしていました。

ローズは結婚した理由について、率直過ぎるほどの事を述べています。
1.セックスがしたかったから。 2.彼自身の築いた値打ち。それはお金と成功と新聞の仕事という高い文化レベルを表しているように思ったから。
3.自分自身が働くことに疲れてしまい、自由と、家事の楽しさが欲しかったから。
                     −1926年11月3日付 未出版ジャーナル「私のアルバニアの庭」より引用−

ローズは、長年交友のあった友人たちの証言からも、とても雄弁家だったということがわかっていますが、これほどまでに、自分の本音をあからさまに言ったというのは、当時の時代背景を考えても、とてもチャレンジャーだったと言えるでしょう。
現代では別に取り立ててどうということもないかもしれませんが、当時の女性たちの模範から考えれば、彼女のこの「慎み深さのなさ」が、その後の彼女の人生に大きく災いすることになります。
その後も彼女の「あからさまな物の言い方」は、ずっと続いたようで、作家活動やイデオロギー思想にまで、その傾向は強くあらわれ、それが人々の「反感」や「不信感」を増大させることになり、思わぬ裁判沙汰や警察沙汰にまで発展することもしばしばでした。

さて、その結婚生活についてです。
ローズは「新聞社」という高い文化レベルの職を持った夫と結婚し、安定した収入で暮らしていけると思っていました。
ところが、当ては見事に外れます。夫は、「記事を書く」という仕事よりも、広告やプロモーションの仕事で、成功とお金を得ることのほうに、魅力を感じていたのでした。
そうして、夫は旅するサラリーマンとしてアメリカ中を渡り歩き、その間妻であるローズは、一人夫が帰ってくるのをひたすら待つという生活を送ることになります。
さらに、ローズはその時妊娠していて、出産のため実家のマンスフィールドにいましたが、不幸なことに、赤ちゃんは死んでしまい、自分自身も手術を受けたものの、子供を産めない体になってしまいます。
子供を亡くしたばかりのローズのそばに、夫のジレットは付き添うことをしませんでした。
彼女は、うつ状態になり、精神安定剤を使いながら、心の病と闘います。
後年、ローズはこの時期のことを振り返ってこう言っています。
「一種の狂乱状態だった。ある部分で、私は馬鹿だったし、ある部分でカンザスシティーでの手術の心の後遺症だった。私は、1909年から1911年の間、肉体的に正常ではなかったし、1914年までには、精神的に正常ではなかった。」
このときの、ショックがどれほどのものだったかというのは、多弁であるローズがこの事に関しては、生涯でたった2回しか触れていないということでもよくわかると思います。
「35年前、私は自分の息子を亡くしました。人が言うように、いつか忘れてしまうなどということは真実ではありません。そのうち、不幸も何かを失うことも人生の一部なのだということを学ぶことになるのです・・・。」
                             −引用は同上−

子供を亡くしたというトラウマ、夫に対する不信感で、ローズの結婚生活は急速に冷めていきます。
しかし、すぐに結婚生活の崩壊ということにはつながらず、二人で、国内を渡り歩き、広告の仕事をしながら、場当たり的に大金を得たりもしていたようです。
再び、サンフランシスコに戻り、Gilletteが不動産広告の仕事を始めると、ローズは、自分自身がビジネスでも有能であることを理解します。
二人で稼いだお金で、贅沢な暮らしをし、車を買うなど人々の羨望の的になった時期もありましたが、1914年、ヨーロッパで第一次大戦が勃発すると、それまでの仕事はなくなり、ローズの母親にお金を借りなければならないほど、二人の生活はどん底に陥っていったのでした。
そういう生活の中で、頼りにすべき夫のGilletteは、相変わらずその日暮らしの苦境に危機感を持たず、よく離婚原因の一つにも挙げられる「背信行為」で、ローズを苦しめることもしたようです。窮地に立たされたローズは、自殺未遂までしました。
「本当にじりじりと殺されるより、いっぺんに殺されたほうがどんなにかましだった。」
「普通の結婚の普通の暮らしだけだったら、たぶん私はそれを受け入れ、幸せでも不幸でもない生き方をしていたと思う。ほとんどの人はそうしているし、私だけが非凡な女性ではない。」

こうして、1915年1月に、ローズは夫の元を逃れ、以前の同居人で友人だったBessie Beattyの誘いで、サンフランシスコBulletin紙で働き始めるのでした。




(つづく)