ローズ・ワイルダー・レイン

(1886〜1968)
米、サウスダコタ州生まれ。
8才、父母と共にミズーリー州マンスフィールドに移住。
16才、叔母のいたルイジアナ州の高校に入学。
17才、実家を離れ、キャンザスシティーで電信技手として働き始める。
23才、サンフランシスコで結婚。
32才、離婚。
34才、アメリカ赤十字の報告記者として3年間ヨーロッパ各地をまわる。
36才、『イノセンス』でオー・ヘンリー賞を受賞。
50才、マンスフィールドを出る。
52才、『自由の大地』出版。ピュリッツアー賞にノミネートされる。
コネチカット州ダンベリーに自分の住まいを持つ。
79才、『ウーマンズ・デイ』のリポーターとして、ベトナム戦争の戦地に赴く。
81才、世界旅行を計画。出発前夜にダンベリーで永眠。



1996年春、何気なく新聞を読んでいた私の目に、一つの小さな記事が飛び込んできました。
タイトルは「名作『大草原の小さな家』 本当の作家は娘?」というものでした。
その内容は・・・

【ロサンゼルス20日共同】
米国の開拓民一家の主婦ローラ・インガルス・ワイルダーの名作「大草原の小さな家」は、実は娘のローズ(1886−1968)が
”ゴーストライター"だったとするローズの伝記「ゴースト・イン・ザ・リトル・ハウス」がこのほど米国で出版された。
 ワイルダー一家の手紙や当時の原稿、ローズの日記などを基に、著者のウィリアム・ホルツ氏は「母親のローラは最後まで
作家としてはアマチュアにすぎなかった」と結論付けている。
 「大草原の小さな家」の最初の作品は1932年、ローラが65歳で書き、当時45歳のローズは「編集」にタッチしただけとされていた。
しかし、初稿を丹念に調べたホルツ氏によると、ローラの平凡な文章がローズによって一行ごとに書き直され、違った場面が
挿入されるなどあらゆる面で手が加えられ、生き生きとした文体になっていたという。
 ローズは友人に「これは世間で言う”ゴースト”です」と手紙で告白している。
 ローズ自身も作家で、その著書「フリー・ランド」はベストセラーになった。しかし母親の作品に協力したため時間がなく、
ライフワークとして夢見ていた「大草原の小さな家」の大人向けの本には手が付けられなかったという。

                                      −全文 引用−

それは、当時の私には、とてもショッキングな記事の内容でした。
なぜなら、その頃の私は、日本での「小さな家」ファンの多くがそうであったように、「ローラ」という一人の女の子の主人公と
彼女をとりまく家族が織り成す暖かい家庭像に、熱烈な「あこがれ」と「理想」を重ねていたからです。
この「小さな家」シリーズは、私にとっては特別の本でした。
病気ばかりしていた子供の頃、この本に出会ってから、受験のときも、学生になって一人暮らしを始めたときも、結婚してからも
これらの本は、ずっと私と一緒に付いてきました。
手垢でくたくたになったこの本たちは、いつもわたしのそばにいて、慰め、励まし、元気付け、笑わせてくれました。
そんな物語を書いた本当の作者が、あのローラ・インガルス・ワイルダーではなく、その娘のローズだったなんて、
とても信じることができませんでした。
とにかく、自分の目で確かめたいと、私は、このウィリアム・ホルツ氏の本を捜し、手に入れることができたのでした。

はじめてそれを手にしたとき、私は愕然としてしまいました。
ホルツ氏は、大学の英語学の教授ですから、論文のように硬く難解な英文が並んだ分厚い本で、
これでは、とてもすぐには読めないと思いました。
そして、これだけ話題になっているのだから、そのうち何処かから翻訳本が出てくるだろうと思っていました。
ところが、その期待は見事に裏切られます。
当たり前といえば、当たり前ですが、これだけローラファンのいる日本で、このような本を出版しても、売れるはずもないし、
無視されるだけでしょう。
それでも、私はどうしても内容が知りたいと思い、学生のときは英語を専攻していたということだけを頼りに、一人で訳し始めました。
結局、それは思いがけず長い年月を要することになりました。
仕事から帰って、自分のために使えるわずかな時間をほとんど翻訳に費やしました。
一つの人名を調べるのに、アメリカの歴史そのものを勉強しなければならない時もありました。
あまりの難しさに、途中で投げ出して、丸一年、放っていた時もありました。
けれど、少しずつ少しずつ、亀の歩のごとく、訳し続けていって、やっと完訳し、本の概要を把握することができました。

これだけの長い時間がかかったわけですが、その間に、私自身の周りにもいろんなことが起こりました。
そして、そのいろんなことで、私自身が悩んだり、苦しんだりしたおかげで、ローズが人生の中でうけた心の痛みを、
リアルに感じることができたのです。
もし、短い期間に、簡単にさっと訳すことができていたら、きっと見落としていただろうと思うことも、
こうして自分の人生と重ね合わせながら進めたことで、ローズの人生をより深く理解することが出来たと思っています。

ホルツ氏自身、彼が書いたローズの伝記が、どういう意味を持つかよくわかっていました。
「この伝記は、物語の中のローラと小さな家の本を愛する人達を、きっとがっかりさせることになると思っている。」
彼の予想通り、この伝記に対するローラファンの反応は、冷たいものがほとんどでした。
日本では、服部奈美さんの「「大草原の小さな家」と自然」(1996年 晶文社)の中で、わずかに述べられているにすぎません。

けれど、本当にこの本を最初から最後まできちんと読んだ結果の書評なのだろうかという疑問もありました。
ホルツ氏は、この本を書くのに、少なくとも10年以上の歳月をかけています。本業の傍ら、援助金を受けながら、
いろいろ調査して、書き上げた結果を、むざむざと捨ててしまうのは、とてももったいないと思ったのです。
最近になって、TVなどでも「神話くずし」みたいな番組が出てきましたよね。
たとえば、エジソンは人の発明を横取りする意地の悪いやつだったとか、ニュートンの万有引力発見のエピソードは、
作り話だったとか、その他にもいろいろと・・。
偉人、英雄といわれていた人が、実は全然汚い人間だったということは、ある意味ショックですが、
心のどこかではやっぱりと納得できる部分もあるでしょう?
だから、その反対のことも言えるわけです。
今まで、悪人だといわれていたのが、本当はいい人だったのかもしれません。

この伝記を全部読み終えて、ローズはいい人だったのかというと、そういう簡単なものではないなと思います。
一般に言われているように、極端な個人自由主義者、浪費家という部分があったことは事実です。
けれど、明らかに誤解されている部分もたくさんあるということが、はっきりしました。

私は、このHPの「作家の日記」というページで、いろんな日記を紹介していますが、
ローズは、作家にしては、実に多くの手紙や日誌、日記を残した稀有な人だったと言えます。
そして、それらの記録は、彼女自身を語る貴重な資料として、彼女が亡くなった後も大切に保管されてきたのでした。

「日記をつける人、毎日の記録を書く人というのは、自分自身のために書くのであり、同時に、いつかそれを読み、受け入れ、理解し、
正当化し、明らかにしてくれる誰かのことを想いながら書いているのだと思う。後世にまで本心をさらけだしたままでおくというのは、
相当勇気のいることであり、相当の虚栄心がなければできない。」    ホルツ 「ゴースト・イン・ザ・リトル・ハウス」  −エピローグ−

私は、ローズが想った読者の一人として、彼女の知られなかった「心の声」を少しずつ解き放ってあげたいと思ったのでした。




(つづく)